金のかんのん様
 むかし、引野の木床というところに、古いいわれのある家がありました。この家は、むか
し、源の頼光(らいこう)という殿様の、家来で、渡辺の綱の、子孫だったということです。
 さて、この家に、古くから伝わっている、金のかんのん様がありました。大きさは、一寸
八分(二〜三センチぐらい)の小さいかんのん様ですが、とても大事にされていました。
 ところが、この子孫が、だんだん働くことが、いやになりはじめ、なまけ者となりました。
そのうちに、とうとう、たくさんある田まで、売らなければならなくなったのです。
 その売り田の中で、三反ほどは、桜井という家に売られていきました。田を買った桜井の
人は、はんたいに、たいへん働き者の家でした。
 ある日、田を買った家の人が、いっしょうけんめい、田をたがやしていたところ、田の中
から、ピカッと光る、金のかんのん様が、出てきたのです。
“こりゃ もったいない 田の中に かんのん様が うもっていらっしゃるとは”
 と、ていねいに洗って よくみると、どこかで おがんだような気のする かんのん様で
す。
 “ありゃ これは この田を こうた 渡辺様のところの かんのん様だ”
と気がつき さっそく おききしてみると、渡辺様の守り本尊でした。かんのん様は い
つのまにか、渡辺様の家から姿を消されて、なくなっておられたのです。
 これを知った 村の者は、
 “かんのん様は、なまけ者のいる家を、きらわれて、はたらき者のいる家へ うつられた
のだろう”
と うわさするように なったそうです。

 それから何年か たったあとのことです。働き者の桜井家が 火事になり、家が全焼して
しまったのです。もちろん、大事にされていた 金のかんのん様も 焼けてなくなってしま
いました。家の者は
“ほかのものは 焼けてもええが、あのかんのん様だけは お助けしたかった”
 とあきらめきれない気を もっていました。それから数年、桜井家の人びとは、一生けん
めい働き続け もとどおり、焼けた家も 立派に建てなおりました。
 ところが、また不思議、田の中から、焼けてなくなったはずの 金のかんのん様がみつか
ったのです。家のものは、二度びっくり、いよいよ、このかんのん様を大事にし、朝な夕な
に おがむようになったそうです。
 いまでも この家には、毎年二月二十日、(かんのん様が みつかった日)檀那時のお坊
さまをよんで ねんごろに 供養されています。
 あら あら、不思議なことも あったものです。






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